昭和5年 | 初代の海老原琴三郎が大田市場前身である神田市場に青果仲買商「丸屋商店」を創業。 促成野菜を中心に青果物を関東、東北、北海道の得意先、約50ヵ所に出荷していました。 その後太平洋戦争が始まり営業が困難になり、現在の茨城県神栖市に移住し終戦を迎えます。終戦後は東京へは戻らず、初代海老原琴三郎は農業を始めます。 |
昭和32年 | 二代目海老原庸浩が現神栖市のピーマン生産者からピーマンを買い付け、産地商人「出荷組合」とし東京、横浜、名古屋の青果市場へ出荷を始めます。 |
昭和42年3月 | 鹿島港の開発に伴い現会社がある地区に移転し産地商人をやめ、青果物卸小売業「丸屋青果店」開業。 |
昭和53年1月5日 | 「有限会社丸屋青果」設立、海老原庸浩が社長に就任。 |
平成6年5月 | 三代目となる海老原孝治が茨城県神栖市ピーマン、鹿嶋市キャベツ、千葉県銚子市大根、キャベツ、香取市の生産者との交渉の後、商系組合「印 東関東連合組合」の名称で北海道、東北、関東、中部、信越、北陸方面の青果市場へ出荷を開始する。 |
平成20年9月24日 | 「有限会社丸屋青果」から「株式会社丸や」に会社組織と商号を変更し、代表取締役に海老原孝治が就任 |
平成25年3月25日
| 「合同会社マルヤエコファーム」を設立し、農産物の生産と販売を開始する。 |